船水颯人が使っているラケットは?高校OBとストロークについて語る

こんにちは!

ここでは、今年2019年の4月より国内初のプロに転向したプロソフトテニスプレーヤーの船水颯人(ふねみず・はやと)選手の
ラケットに関する情報などをまとめています。

船水颯人の使用ラケットは?


共同通信社

現在yonexとの契約の上、以下のラケットとストリングを使用しているようです。

◯使用ラケット

▶︎ F-LASER 9S   …¥24,000+税

◯使用ストリング

▶︎ POLYACTION 125 …¥2,000+税

 

改めて船水颯人とは?「勝ち続ける11の理由」を徹底紹介!

船水颯人の経歴・wikiプロフィール|勝ち続ける11の理由は?

ラケット選びは「デザイン」より「感覚」重視

国内初のプロにまで上り詰めた船水選手ですが、中学までは、ラケット選びは「カッコよさ」を重視していたとのこと。

しかし 高校1年になって初めて自分の感覚にピンとくるものに出合って以来、同じスペックを使い続けているそうです。

―大会には何本もラケットを持っていくそうですね。

 

同じ種類のラケットを7、8本、持っていきますね。
すべて使うわけではありませんが、備えあれば憂いなし。
夏はガットの緩みは早いですし、急な雨に降られることもありますから。
大会期間中は1試合ごとに張り替えています。
僕は感覚を大事にしているので、
少しでも違和感があれば、ラケットを変えます。
荷物が多くなって、大変なんですけどね(笑)。
引用元:ソフトテニス・マガジン

人間の「感覚」って思いの他すごいんですよ。
でもここまで徹底する人は中々いないでしょう。

―ラケット一つで、打つボールも違ってきますか。

 

違いますね。僕は相手のボールを受ければ
ラケットを変えたことにも気が付きますよ。
初速が早くなったり、バウンドが違ったりしますから。

僕もラケットを変えるときは、
ボールを受ける相手に意見を聞くんです。
いまのショットは勢いがなかったか、球速はどうか、など。
逆にチームメートがラケット選びで迷っていれば、助言します。
引用元:ソフトテニス・マガジン

微細な感覚も逃さないところが
さすがプロだなと感じます。

1日使えば、次のラケットというペースで回していました。
グリップも毎朝のように巻き直していました。
1日に何試合もあり、
汗でびちょびちょに濡れてた場合は、
すぐに巻き直しました。
感覚が悪いときも、交換しますね。
引用元:ソフトテニス・マガジン

こだわりは持っていますが
道具を言い訳の材料にはしたくないです。
道具のせいで負けたとは絶対には言いたくありません。
むしろ、一番言ってはいけないことだと思います。
勝負にこだわるからこそ、少しでも良い物を使いたい
自分に合ったものを選びたいと思っています。
引用元:ソフトテニス・マガジン

結果が全てで「自己責任」だからこそ妥協しない。

このスタンスが「船水颯人」を作り上げているようです。

船水選手が色々なラケットを使って練習している動画を見つけました。

F-LASER 9S 特に打ちやすそうですね!

船水颯人がストロークで意識していることは?
〜高校のOBとの乱打も必見〜

船水選手の出身高校は、プロ野球選手のダルビッシュ有選手をはじめ多くのスポーツ選手を輩出する宮城の名門校「東北高校」です。

上の動画は、3:19からご覧ください。

同じ東北高校のOB「もりぞー」さんと乱打をしている動画を見つけました。

フォームが本当に綺麗ですね、ボールがどこに飛ぼうと素早く追いつき崩れません。

6:33からは、船水選手が、ストロークにおいて意識されていることを語られていますので
要チェック!

ストロークで意識していることは?

早いボールを打つには、力を抜く勇気も大事。
力を入れたからと言って100%の力が出る訳ではない

常に同じ打点でボールを捉えられるように
ボールの近くまで、ちゃんと足を動かす。

船水颯人がテニスを始めた理由は?

今や日本のソフトテニス界の星とも言える船水選手ですが、小学校時代は、テニスだけでなくサッカーや野球にも親しんでいたのだそうです。

きちんと始めたのは中学生のころ、しかも選んだ理由は「なんとなく」なのだそうですw


©︎SOFT-TENNIS MAGAZINE

なぜ、ソフトテニス部を選んだのですか。

家族がみんなしていたので(笑)。
昔を思い出すと、いまほど勝てるように
なるとは思わなかったです。
カラダも小さいし
技術もずば抜けていたわけではありません。
中学1年のときは
身長も
140センチくらいしかなかったんです。
パッと見、小学生でした。
引用元:ソフトテニス・マガジン

青森県の黒石市立「黒石中学校」のテニス部に入部しますが、父親が弘前実業高校のソフトテニスの指導者だったこともあり、高校生の中でも練習を積んでいたそうです。

地元の青森で行われた講習会で、ソフトテニスの篠原秀典さんに世界選手権の金メダルを首にかけてもらったことで、世界を意識するようになり、中2の時には、頭角を現し全国中学生テニス選手権大会(個人)で初出場「3位」。

このとき、自分の思いが少し現実的になってきたような手応えを感じたのだとか。

プロとして目覚め始めたんですね。

船水颯人がテニスを続けられた理由は?

幼い頃から、さぞかし厳しい英才教育を根性でこなしてきたのだろう…と思いきや、意外なエピソードも発見しましたので、ご紹介します。

「英才教育は受けていない」!

小学1、2年生の頃はどのような練習をしていたのですか。

 

練習という練習ではなかったです。
父親が勤める高校で、仕事が終わるのを待ちながら
校舎の壁に向かってボールを打っていました。
ひたすらポンポンと。壁打ちですね。
クラブにも入っていましたが
練習は週1回だけですから。
徹底して教えられたということはなかったです。
引用元:ソフトテニス・マガジン

一度も怒られたことがなかった!

何が楽しくて、続けていたのですか。

 

僕の場合、中学3年生までテニスをしていて
怒られたことがなくて。
伸び伸びとしていました。
自由でわいわいとして、楽しかったですね。
きっと「ああしろ、こうしろ」と強制されていれば
続かなかったと思います。
引用元:ソフトテニス・マガジン

泣き虫で怒られることが苦手だった!

小学生時代に苦手だったことはないのですか。

 

うーん。低学年の頃から
トレーニングをしたおかげか
身体はうまく動かせていましたし
運動ができなかったという記憶はないです。
ただ、怒られることは苦手でした。
泣き虫だったので(笑)

叱られると、
「もう面白くないよ。やめた、やめた」となるタイプでした。
わがままっ子ではありませんよ(笑)。

 

スパルタでソフトテニスを習っていたら
いまの僕はなかったと思います。

人それぞれかもしれませんが
僕には伸び伸びと自由な指導が
合っていたんだと思います。
小学生くらいまでは
楽しくてナンボという気もしますけどね。
引用元:ソフトテニス・マガジン

意外にも「泣き虫だった」とありますが、裏を返すとかなり「負けず嫌い」なタイプだったとも言えるのでしょうか。

「好きこそものの上手なれ」と言いますし、伸び伸び楽しい体験と負けず嫌いな性質がうまく活かされ、現在の船水選手があるのでしょうね。

船水颯人のインスタギャラリー


キュートな笑顔♡

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“意志あるあるところに道は開ける” 船水颯人選手の意志がすごい! 尊敬する! #船水颯人

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やる事やってないと、こんな事は言えません!


目力すごい!狙った獲物は…?

バックのストロークの音「ズバコーン!」


うっしゃ!決まった!


お兄さんの雄太さんとお買い物♡二人とも素敵ですね。

まとめ

いかがでしたか?

ますます船水選手の活躍から、目が離せませんね。心から応援しています!

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